大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和57年(ワ)550号 判決

原告

杉山弘

右訴訟代理人弁護士

梨本克也

被告

株式会社中央馬匹輸送

右代表者代表取締役

草野哲

右訴訟代理人弁護士

水野敏明

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、八〇六万五〇〇〇円及びこれに対する昭和五六年四月二三日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、競走馬の輸送を業とする会社である。

2  原告の代理人訴外有限会社大西牧場(以下「大西牧場」という。)は、昭和五六年四月二一日、被告との間で、原告所有の競走馬スギノパワー号一頭(三歳馬、以下「本件馬」という。)を、同社の北海道千歳市駒里二、二六六番地所在の大西牧場トレーニングセンターから、愛知県海部郡弥富町大字駒野地内へ輸送する運送契約を締結した。

3  被告は、右運送契約に基づき本件馬を馬送車にて輸送途中、昭和五六年四月二二日午前二時頃、東北自動車道走行中の岩手県花巻市附近で本件馬を馬送車内にて転倒せしめ、同月二三日午前四時一五分頃同県水沢市内において脳震盪により死亡せしめた。

4  右は被告の運送契約上の債務不履行であるから、被告は本件馬の死亡によつて原告が蒙つた損害を賠償する義務がある。

5  損害

(一) 本件馬の評価額

イ 購入代金 六〇〇万円

ロ 育成費 七四万一〇〇〇円

昭和五五年一一月四日から昭和五六年四月二一日まで大西牧場のトレーニングセンターに委託して育成してもらつた料金で、同社に支払つた額

ハ 出張費用 三二万四〇〇〇円

昭和五四年一〇月に、原告が本件馬の買付けのために三回(内二回は調教師同道)北海道沙流郡門別町へ出張した際の、旅費及び宿泊費

合計 七〇六万五〇〇〇円

本件馬の死亡時点における評価額は、右合計額相当と評価すべきである。

(二) 弁護士費用 一〇〇万円

被告は原告からの再三の請求にも拘わらず賠償に応じないので、原告は原告代理人に委任して訴訟提起のやむなきに至つたものであるから、相当額の弁護士費用である一〇〇万円は被告の債務不履行と相当因果関係に立つ損害とみるべきである。

よつて、原告は被告に対し債務不履行に基づく損害賠償として八〇六万五〇〇〇円及びこれに対する遅行遅滞の日である昭和五六年四月二三日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因の認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は否認する。

3  同3のうち転倒せしめた点及び脳震盪により死亡せしめた点は否認し、その余の事実は認める。

4  同4項は争う。

5  同5の(一)、(二)の事実はすべて不知。

三  被告の主張

1  本件馬は輸送中、麻痺性筋色素血病に罹患し、さらに急性腎機能障害、循環障害をきたし、その結果死亡したものであつて、被告及びその使用人である運転手の運送上の不注意によつて死亡したものではない。したがつて、被告には運送契約上の債務不履行はない。

2  仮に被告に債務不履行があるとしても、被告と大西牧場は、競走馬の輸送にあたり、損害賠償約款を締結しており、本件馬の輸送に関しても右約款にもとづき運送契約を締結したか、右約款六条により、競走馬が斃死、又は切迫屠殺処分を受けるに至つた場合、同七条(運送の申込をするに当り、別表要償額表示料をその競走馬の馬主又は管理者が運送申込と同時に振込まなければ当社は損害賠償の責を負わない)に規定する要償額表示の手続をしなかつた場合にあつては、一頭につき次記の額を限度として賠償すると規定し、賠償額は、サラ系一五〇万円、アラ系及び速歩馬六〇万円とされているところであり、大西牧場は、本件馬の輸送を被告に申込にあたり、要償額の支払いをしていないので被告の賠償額は一五〇万円が限度である。

四  被告の主張に対する認否

1(一)  被告の主張1の事実は否認する。

(二)  本件馬は、被告の使用人である運転手が馬送車を急停止させる等の無謀運転をしたことによつて車内で転倒し、頭部を強打したことによる脳震盪が直接の原因となつて死亡に至つたものである。

(原告が本件馬の死亡後間もなくからその死因につき疑問を抱き始め、被告代表者に対し責任を追求する態度を示したため、不安を感じた被告代表者からの要請を受けた佐野東平獣医が、家畜保健衛生所という公的機関の権威とその職員である金野慎一郎を利用して、本件馬が麻痺性筋色素血病であつたとする証拠の捏造を図つたというのが真相であろう。)

2(一)  被告の主張2の事実は否認する。

(二)  被告主張の損害賠償約款は運輸大臣の認可(道路運送法一二条一項)を受けていないばかりか、被告は大西牧場に同約款を記載した書面を一方的に送付したというものであつてそれが相手方に届いているのか否かの確認や内容の説明もしていないところであり、さらに右約款には「別表の要償額表示料をその競走馬の馬主又は管理者が運送申込と同時に払込まなければ当社は損害賠償の責を負わない」との記載があるものの、添付すべき別表を配布していないというものであるから、右約款に基づいて運送契約を締結したとの原告の主張は到底認めることはできない。

したがつて、本件運送契約には、当然に標準貨物運送約款が適用されるべきである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1(被告の営業)の事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば請求原因2(本件馬の運送契約の締結)の事実が認められる。

二〈証拠〉によれば、以下の1ないし8の各事実が認められる。

1  被告は、本件馬の運送契約に基づき、その使用人である運転手七条稔(以下「七条」という。)、同田中敏昭(以下「田中」という。)をして昭和五六年一〇月二一日午前一〇時三〇分頃、大西牧場の千歳トレーニングセンターで、本件馬を馬送車に積み込み、同馬送車は、吉田牧場、大西洞爺牧場、トーア牧場、由崎牧場等を経由して、同日午後七時一〇分函館発のフェリーに乗船し、翌二二日午前〇時頃青森県野辺地に到着し、そして同所から国道四号線を通つて約三時間で東北自動車道(高速道路)滝沢インターに至り、同インターから東北自動車道を走行したが、花巻パーキングエリヤを過ぎた同二二日午前四時頃、馬走車内で物音がしたので、同日午前四時二〇分頃相去パーキングエリアに馬送車を止めて、運転手らが同車内をみたところ本件馬が馬房内で横臥していた。なお、右馬送車内の各馬房は馬が中に入ると左右両側がわずかな空間しかないうえ馬が前方に移動するのを防ぐため厩栓棒で仕切るという構造になつており、馬房最前部左右には馬の頭顔部にかけられたもくしから延びる手綱を結ぶための二つの金属環が設置されている。

2  そこで七条は、相去パーキングエリアの公衆電話から獣医師を捜し、何軒かの獣医師方に電話で本件馬の診断を依頼したが、いずれも断わられた。そして岩手県水沢市の訴外佐野東平獣医師に同日午前四時三〇分頃電話をし、本件馬の診察を依頼したところ、やつと同獣医師の了解が得られ、水沢インターチェンジに来るようにとの同人の指示に従い、七条らは一〇分から一五分位で相去パーキングエリヤから水沢インターチェンジに馬送車を移動させた。その際田中が本件馬に付き添つたが、本件馬は相去パーキングエリヤで起立し、その状態で水沢インターチェンジに到着したものの、訴外佐野獣医師を待つ間に同所で起立状態が保持できずくずれるようにして再び横臥してしまつた。そのため七条は馬房の側面の枠をはずし、二頭分の馬房に本件馬を寝かせた。

3  佐野獣医師が、同日午前五時三〇分頃、水沢インターチェンジに到着し、馬送車内で本件馬を診察したところ、本件馬は車内で横臥して、後肢を伸長させ、鼻腔や口より黄色の気泡を出していたが、体温は三七度五分、心拍数は八〇であつた。なお、馬送車内の他の同乗馬には異常がなかつた。そこで、同獣医師は本件馬の治療のため七条らに指示して馬送車を近くの馬屋附近まで移動させ、そこで本件馬をその尾にロープをつけ馬体前後をつり上げるようにして起立させ、馬送車からフラフラしながらも歩行させて馬屋に収容した。

4  佐野獣医師は、本件馬に対し馬房内で、同日午前六時三〇分頃、リンゲル二リットル、カンフル一〇ccを注射し、浣腸処置等を施し、そして同日午前八時三〇分一リットル、同日午後〇時五〇分(但し、その数量は不明)、同二時過ぎ二リットル、同六時一リットル、同九時一五分一リットル、同一一時一五分一リットル、さらに時期及びその数量は明らかでない分を含めて、翌二三日午前四時一五分に本件馬が死亡するまでの間に合計一二リットル以上の各リンゲル注射をなした。

二二日午前八時三〇分頃、本件馬はやや赤みのある排尿をし、心拍数八〇で、排便は良好であつた。

同日午後〇時五〇分頃、本件馬は心拍数七〇、体温三七度五分で、皮温が下肢で冷却した状態であつた。

同日午後二時過ぎ頃から佐野獣医師は本件馬から五リットルの瀉血をなしたが、その際の血液は濃縮状態を呈し粘稠性が強くなつていたので、その頃鑑定に供するための採血及び採尿をもした。

同日午後四時三〇分、本件馬は前肢の痙攣を起こし、頭部点頭運動(寝た状態で頭を振り、床に顔面をたたくこと)、及び異常食欲(馬は餌を食べるときは通常一定の量を口に入れて咀しやくするところ、飲み切れない位に餌を口に入れること)の脳症状を示し、皮膚反射なく、心拍数八五となつた。

同日午後五時頃、カンフル注射をしたが、本件馬は知覚麻痺の状態であつた。

佐野獣医師は、その後も前記のとおりのリンゲル注射及びカンフル注射をするなどの治療をなしたが、翌二三日午後四時一〇分頃症状が急変し、同四時一五分に本件馬が斃死するに至つた。

5  本件馬の外傷として、左右のほほの部分とあごの辺りに擦過傷があつたが、裂傷、骨の陥没などの頭部を打撲した形跡は見当らなかつた。

6  佐野獣医師は、採取した血液と尿を直ちに冷蔵庫に入れて保存し、昭和五六年四月二四日、盛岡の家畜保健衛生所にそれらの病性鑑定の依頼をした。

同衛生所の職員である金野慎一郎が、その血液・尿の検査をなし、同年四月末頃、次のとおりの回答をした。

(一)  血液・血清検査成績

血液ではHtの増、Hbの増及び粘稠性の強い濃縮像がみられ、血清分離においても、全血一〇ミリリットル中二ミリリットルの血清採取が限度であつた。血清蛋白分画では、低アルブミンとα―グロブリンの著増がみられ、急性炎症像が示唆された。この炎症性進行病像は血色素尿由来と無関係とは考えられないが、原発病巣は不明である。

また、高い血清尿素態―高尿素、高燐、高カリが認められたが、これらは急性腎機能不全、循環障害の症徴であり、特に高カリ血症と高度組織破壊の内在が死期を早めたものと考えられる。

(二)  尿検査成績

尿所見では酸性尿を呈し、遠心による沈渣中細菌は認められず、溶血性で血球は認められず、白血球()、その他蛋白性物質が大半を占め、赤褐色血色素尿として認められた。

(三)  以上、自動車輸送中の転倒は、通常急激な方向転換、急ブレーキなどの無謀操作がないかぎり、健康馬が転倒することはあり得ないが、発症治療時の血液濃縮(瀉血五リットル、輸液一二リットル)は瀉血、輸液後においてもこの所見が認められ、全身的循環障害が内在したことが窺がわれ、急性腎機能不全、腎における濾過機能の障害をもたらす組織破壊要因が先行し、低アルブミン、高燐、高カリ血症による心不全が急性死を招いたものと思考される。

(四)  鑑定病名(検査名)

急性腎機能不全、血色素尿症

7  佐野獣医師は、原告から名古屋競馬場へ提出するため本件馬の診断書を送付してもらいたいとの依頼を受け、病性鑑定の回答を受ける前である昭和五六年四月二七日、病名脳震盪、病症予後として、二二日午前二時頃進行中の馬送車内にて転倒、そのまま水沢インターで初診(午前五時半頃)、体温正常、心拍の疾速(八五)、知覚の麻痺及び軽度の散瞳を示し、鼻穴より泡沫を出し、六時半頃強引に降車させ、馬房に収容治療処置実施殆んど横臥状態で脳症状を示し、瀉血術、補液治療するも心拍の回復みられず、二三日午前四時一五分斃死する旨の診断書を原告に送付した。

(なお、本件馬が転倒したのは、二二日午前二時頃であると右診断書(甲第九号証)に記載されているが、佐野獣医師は昭和五六年四月二二日馬送車の運転手七条らから転倒した日時を聞き、右診断書に記載したものであるところ、本件馬の治療に関するカルテ様のメモ紙(甲第一二号証)には転倒の日時の記載はなく、同月二七日になつてから、全くの記憶だけにより午前二時頃に転倒と記載したと推測されるところであり、その記憶の正確性に疑問がある。これに対し、証人七条稔は転倒した日時についてその走行場所とその後の経過を詳細に述べたうえ、同日午前四時頃である旨証言するところである。そこで前記1のとおり、本件馬は二二日午前四時頃馬送車内で転倒したと認定したものである。)

8  馬の麻痺性筋色素血(尿)病(血色素尿症)は、栄養佳良の重種系の馬が休息後の労役時に突発する後躯諸筋の硬化と麻痺などの症状によつて診断できる馬特有の急性病で、後躯の全く麻痺したものは三〜七日以内に敗血症、蓐瘡を発して死亡することが多く、死亡率は普通一〇パーセント、重症では五〇ないし七〇パーセントに及ぶとされている。

病理として、主病変は筋肉にみられ、腰筋、殿部諸筋、まれに四頭股筋、肘筋その他の筋肉が帯黄色となり、魚肉観を呈し、筋線維は腫大し、混濁腫脹、脂肪変性、蝋様変性を示し、また腎臓は変状が強く混濁腫脹し、尿細管部に血色素、尿円柱、血色素硬塞と腎上皮細胞の脂肪変性などをみるとされている。

そして、同病になつた馬は、歩行障害を呈したり、沈うつ症状、いわゆる脳症状が出たり、皮温の不整、さらに赤かつ色の尿の排泄がみられるという。

(なお、証人佐野東平は本件馬の直接の死因は脳を強打したことによることを肯認するかの証言部分も存するが、前肢の痙攣、頭部点頭運動、異常食欲といつた脳症状があつたことから右の如き証言をなしているところ、前記認定8のとおり麻痺性筋色素血病により脳症状が生ずるものであること前記認定5のとおり頭部を打撲した跡はないこと、前記認定1の馬送車内の馬房の構造、前記認定3の同積していた他の馬に異常がなかつたことから、右証言部分を採用することはできない。)

三以上の事実のとおり、本件馬は被告の馬送車で輸送中に麻痺性筋色素血病になり、起立保持ができず、馬送車内で横臥してしまい、その後、獣医師の治療を受けるも、急性腎機能不全をきたし、低アルブミン、高燐、高カリ血症による心不全が急性死を招いたものであること、被告の運転手七条らは、東北自動車道を走行中、馬走車内で物音がした後、最寄りのパーキングエリアに馬送車を止めて、本件馬の横臥しているのをみて、獣医師を電話で捜し出し、本件馬の診察をしてもらい、治療のため獣医師の指示に従つて馬屋へ運び、輸液や瀉血などの治療を受けさせたものであることから、被告及び被告の使用人である運転手の運送の不注意により、本件馬を死亡させたものでない。

四原告は、被告代表者からの要請を受けた佐野東平獣医師が家畜保健衛生所の権威とその職員である金野慎一郎を利用して本件馬が麻痺性筋色素血病であつたとする証拠の捏造を図つた旨主張するが、証人金野慎一郎は証言当時右衛生所の病性鑑定課長であり、血液・尿の検査結果を捏造するとは考えられず、同証人のなした血液・尿の検査により麻痺性筋色素血病に罹病したと判定されるような血液・尿を佐野東平獣医師が短期間に別途用意することは非常に困難なことであり、又、右佐野獣医師がそこまでして被告を助けなければならない事情も認められないから、右原告の主張は採用できない。

五結論

以上の次第により、本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官駒谷孝雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例